「千早」と「崇徳院」
百人一首を取り込んだ落語で有名なものに「千早(ちはや)」と「崇徳院(すとくいん)」があります。
まず「千早」から説明します。
この歌は百人一首で有名ですが古今和歌集にも入っている在原業平の歌です。
「ちはやぶる 神世(かみよ)もきかず 竜田川 唐紅(からくれない)に 水くくるとは」がその歌です。
辞書によれば「ちはやぶる」は神にかかる枕詞です。
「唐紅」は濃く鮮やかな紅色で、「水くくる」とは水を括り染めにするということです。
この訳は「神世(神の時代)の話にも聞いたことがない、竜田川がこのように濃く鮮やかな紅色に水を括り染めにするとは」という歌です。
もう少し説明をすると「括り染め」とは布を染める時に所々を糸でくくって、その部分を別の色の模様になるようにする染め方のことです。
竜田川の水の一部をもみじが紅色にくくっているように見える様だというです。
この落語は初代桂文治作と言われていますからもともとは上方噺だったものが江戸噺にも取り入れられたものです。
今は演者としては人間国宝になった柳家小さんや柳家小三治の江戸落語の方が有名です。
上方噺も江戸噺もマクラの部分も本題もオチもほとんど同じです。
違いを上げれば相撲が大阪相撲で、吉原が新町ということくらいです。
落語の方は、ちはやぶるではなく千早振る(ちはやふる)となっています。
水くくるは水くぐるとなっています。
この言葉の違いが落語を構成しています。
この和歌の解釈を求められた男が苦し紛れに珍回答を繰り広げていくものです。
「竜田川」は奈良県にあるモミジの名所を流れている川ですが、これを大関まで務めた相撲取りの四股名だとこじつけます。
大関になってそれまでの「女断ち」を解禁して、ひいきに連れられて廓である「吉原(上方では)新町)」に出かけます。
「ちはやぶるは」神にかかる枕詞で特に意味はないのですが、落語では第一の人気の千早太夫が竜田川をふるということになります。
そして妹大夫の神代(かみよ)も「姉さん(千早)嫌いなものはワチキ(自分)もいやでありんす(いやです)」ということを聞かないと説明します。
これに嫌気が刺した竜田川が相撲をやめ、田舎に帰って実家の商売である豆腐屋を営むというとんでもない展開になります。
もっと奇想天外な展開は千早が乞食におちぶれて竜田川の店に物乞いに来ます。
竜田川は女乞食が千早であることに気が付いておからをやりません。
唐紅という色のことをからくれない(おからをくれない)と解釈しています。
怒った竜田川が千早をつきとばしたところ千早が井戸におち水にくぐると言ってしまいます。
歌の方は「水くくるとは」ですからこじつけ解釈の極みと言えそうです。
相談に来た男は「水くぐる」では「とは」が解釈されていないと食い下がります。
「解説の男は「とは」は千早の本名だと苦し紛れに言うというのがオチとなります。
この噺はもとの歌と全く違う解釈をするのを落とし噺にしたものです。
次に「崇徳院」です。
これは「瀬を速み 岩にせかるる 滝川の 割れても末に 会わんとぞ思う」という歌です。
高校の古文で習うと思いますが、「名詞+を、形容詞;み」の構文は「名詞が、形容詞なので」と和歌でよく使われます。
現代語訳する「川の流れが速いので、いったん分かれてしまう滝川の水は、また先に行って合うでしょう」になります。
つまりいったん別かれる男女がまた先に行って一緒になろうという意味で、この落語でも同じ意味で使われています。
この噺ももともとは上方噺で江戸でも演じられています。
江戸では上野のお山ですが、上方では高津神社が出会いの場所となっています。
高津の宮は第十六代の天皇仁徳天皇をお祭したもので仁徳天皇の「民のかまどは賑わいにけり」のフレーズが有名です。
ちなみに今上天皇は第百二十五代に当たられます。
さてこの噺のあらすじですがある商家の若旦那作次郎が高津さんにお参りします。
その高津さんの茶店で向かい側に座った美人の女性の忘れ物(茶袱紗)を教えたところから始まります。
ちなみに上方の若旦那の名前はたいてい作次郎で、用事を承るのは手伝いの熊五郎に決まっています。
お礼にとそのお嬢さんが「崇徳院」のうたを書いて作次郎に渡します。
これは上の句の部分の「瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の」で「先に行ってまたお会いしましょう」ということです。
作次郎はその日から寝込んでしまい誰が聞いても理由を話しません。
困った親旦那が熊五郎を呼び出し、作次郎に理由を聞かせます。
やっとのことで熊五郎が理由を聞き出し親旦那に報告しました。
親旦那に五日以内にその娘さんを探して来いと命じられ大阪中を探し回ります。
もともと雲をつかむような話なので四日間は成果なしです。
熊五郎は嫁さんからただ一つの手がかりである「瀬をはやみ」を人の良く集まる風呂屋とか床屋で歌って回れと言われます。
実はその娘さんも寝込んでしまっていたようで娘さん側でも若旦那を探し回っている男がいました。
夕方になってその男たちが床屋で出会います。
どちらもそれぞれの依頼者のところに連れて行こうとして争いになり、床屋の鏡を割ってしまいます。
床屋の大将にどうしてくれると文句を言われます。
そこで崇徳院の下の句をもじって「割れても末に 買わんとぞ思う」という地口オチになっています。
この地口落ちでの終わり方が一般的なのです。
地口落ちが比較的多い上方ですが、折角のいい噺なので別のオチで終わりたいという噺家もいます。
江戸の方にはわかりにくいかもしれませんが、高津さんは仁徳天皇ゆかりの地です。
床屋が「あんたのとこの若旦那は、人徳(にんとく)のある方ですなあ」と感心します。
「にんとく(=仁徳)があるはずや。見初めたんが高津さんや」と終わります。
この噺は、初めにも言いましたが元の歌の意味をそのまま使った噺です。
