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落語で京都を見物しよう

メインの噺は、「三十石夢の通路」単に「三十石」ともいわれる噺です。

 

お伊勢参りの後に三十石船で淀川を下っていく船の中の噺が本題です。

 

でも面白いのは噺のマクラの部分で京の町や伏見の名所を説明しているところです。

 

有名な三条や四条の大橋の面白い話はもちろん、街中の有名な場所の他伏見の紹介も盛りだくさんです。

京見物が体験できる落語とその演者

これは上方落語としてよく知られている「三十石夢の通路」単に「三十石」ともいわれる噺です。

 

この噺を演じる演者は何人もいますが、上方では三代目桂米朝が最も有名です。

 

一方江戸の噺家では六代目三遊亭圓生でしょう。

 

(1)噺のあらすじ

基本的にはお伊勢参りを済ませた二人連れが、「京都の伏見の寺田屋の浜から大阪天満の三軒家の浜」まで「三十石船」で下って行くときの船中の様子を描いたものです。

 

マクラの部分は東海道五十三次の終点である「京の三条大橋から伏見で三十石の夜船に乗る」までの噺ですが、米朝と圓生で旅の前提が異なっています。

 

米朝の方は上方落語でおなじみの喜六・清八の二人連れがお伊勢参りを済ませたあと、最後に三十石の夜船で大阪に帰る設定になっています。

 

圓生は氏名不詳の二人連れがお伊勢参りを済ませて大阪まで足を伸ばす設定で噺を進めます。

 

この二人は伏見の船宿で宿帳に書く名前を問われたときに「江戸浅草花川戸の幡随院長兵衛と助六の二人連れだ。」と偽名を名乗りますが、噺の中では名前が出てきませんので以後氏名不詳の二人連れとしておきます。

 

(2)京の名所案内

圓生の方は二人が大津を立って三条大橋に着いたところから話を始めます。

 

京の街中から伏見までの名所についてその名前だけは上げますが、その詳しい説明はほとんどありません。

 

それでは詳しく今日の名所を紹介している米朝の噺の中での京案内を紹介します。

 

喜六・清八の二人が東海道五十三次の終点である三条大橋(さんじょうのおおはし)に着いたところから始まりますが、いきなり喜六は清八に「大阪には橋(はし)ないで。」といいます。

 

皆さんもご存知の通り、江戸の「八百八町(はっぴゃくやちょう)」の対句のように、大阪は「八百八橋(はっぴゃくやばし)」と言われています。

 

喜八はすぐに「大阪は天神橋(てんじんばし)、天満橋(てんまばし)、淀屋橋(よどやばし)と橋ばっかりや。」と反論します。

 

喜六は清八から「それはばしばっかりや、京はさんじょうのおおはし、しじょうのおおはしと言うてはしや。」と説明されやっと納得します。

 

次に喜六は三条大橋の手前に太閤秀吉が、ご奉行の一人である増田長盛(ましたながもり)に橋を架けさせたという高札があると説明します。

 

三条大橋を西に渡り三条通りを南に折れ、京都一の繁華街である四条の新京極に出てきます。

 

新京極の説明をしてその後、誓願寺、六角堂、錦の天神、蛸薬師と次々と名所の説明をします。

 

今度は四条通りを東に歩いて四条大橋を渡り鴨川の東側に出ます。

 

ここで三条大橋、四条大橋と五条大橋が橋同志で話をするという部分があります。

 

ここで、三条と五条の橋には擬宝珠(ぎぼし)がついているが四条の橋にはないことの説明がされます。

 

三条と五条の大橋は公儀の掛けた橋だが、四条大橋は町衆が掛けた橋だそうです。

 

その四条大橋を渡ったところに、年末歌舞伎の招きで有名な南座があります。

 

昔は北座もあったようで、日本舞踊の端唄(はうた)である「京の四季」の中で「そして櫓(やぐら)の差し向かい」というのはここだと紹介されます。

 

北座が今はありませんし、端唄にもなじみがありませんからこの部分は少しわかりにくいかもしれません。

 

南座を通り越し忠臣蔵で有名な一力茶屋の横を通って祇園に出ます。

 

ここで喜六がたくさんの人出を見て「祇園さんな人やな(ぎょうさんなひと)」と言う、地口オチのようなくすぐりが入ります。

 

(3)伏見での噺

伏見に着いて土産物である伏見人形の紹介をするのは米朝も圓生もどちらの噺にもありますが、米朝の方が店の主人との話も紹介しかなり詳しく説明します。

 

これは喜六・清八はいよいよ大阪に帰る前で本当に土産物が必要なのだからかもしれません。

 

伏見で三十石の船待ちにつかう寺田屋という船宿の場面は二人でかなり差があります。

 

この寺田屋は有名な坂本龍馬の寺田屋騒動の舞台です。

 

米朝の場合は喜六・清八を宿に案内するのは宿の女中ですが、圓生の方は最初男衆(おとこし)がまず案内し、宿の主人も挨拶に登場します。

 

円生の噺の方では、宿の主人はたぶん大阪からの帰りにもう一度泊まってほしいという希望があるからでしょうが、伏見から少し離れた宇治付近の名所も紹介します。

 

六地蔵、平等院、県主神社等を紹介し、中でも特に勧めるのが黄檗山万福寺で、次に見えた時にはご案内いたしますとまで言っています。

 

船宿で番頭が宿帳に客の名前を聞きに来るくだりはほとんど同じです。

 

番頭は「お上からのお達しもあり本当の名前をお願いしますというのです」が、みんな無茶苦茶な名前を言います。

 

圓生の噺では氏名不詳の二人が、「浅草花川戸の幡随院長兵衛と助六」と名乗る部分がありますが、そのほかの客の部分は米朝の噺もほとんど同じです。

 

大阪のお客が「大阪今橋二丁目鴻池善右衛門」と名乗り、僧侶まで「播磨の国書写山円教寺武蔵坊弁慶」と名乗ります。

 

老女が「自らは小野小町」、こどもが「うちわかまる(牛若丸)」と名乗ったりするので番頭があきれて部屋から出て行ってしまうというあたりも二人とも同じです。

 

ここまでがこの噺で出てくる京都の名所案内ですが、ほとんどの場所が今でも実際に現地へ行って確かめることができる場所です。

 

三十石船の噺の本題

名所案内からは少し離れるかもしれませんが、本題に入って伏見の寺田屋の浜から淀川を進んでいくという部分も説明したいと思います。

 

喜六・清八の二人も江戸の氏名不詳の二人も三十石船で淀川を下っていきます。

 

三十石船は、全長5丈6尺(約17m)、幅8尺3寸(約2.5m)で米が30石積めるのでその名がついたようです。

 

余談ですが米朝は噺のマクラの部分で、弟子の桂ざこばから「29石船はないのかと聞かれたのでそんな中途半端な船はない」と答えたら「1石を争うんだ。」と言われたとくすぐりを入れています。

 

本題である三十石船の道中の噺です。

 

船は伏見を出て宇治の中書島を抜け宇治川を下って枚方までいきます。

 

船が出る直前に「お女中なのでもう一人乗せたい。」という船頭と客のやりとりがあります。

 

客の一人が妙齢の婦人だと勘違いして期待していたらお女中がおばあさんだったとか、途中の中書島で遊女から大阪での買い物を頼まれる部分も二人ともほぼ同じです。

 

船出の時や航行途中で船頭が歌う舟歌は二人とも見事に歌っています。

 

また女性が航行中に用足しのため船べりから白いお尻を出します。

 

それに見とれて船頭が川に落ちてしまう部分も同じです。

 

船中での退屈しのぎに客同士が問答を繰り広げていくところもほぼおなじです。

 

この問答は「何と掛けて何と説くその心は」という謎解きの噺です。

 

例えば、「いろはのいの字と掛けて船頭の手と解く。」その心は「櫓(ろ)の上にある。」といったものです。

 

もう少し難しいものを上げれば、「数字の一の字と掛けて感心な寺の小坊主と解く。」その心は「辛抱すれば住持(十の字)になる。」というのもあります

 

これは、一の字に心棒(縦の棒)を通せば十の字になるという解説です。

 

ここまでは二人ともほぼ同じ展開ですが、サゲの部分で二人の展開が違います。

 

米朝の方は、一人の男が枚方の手前で降りるというものです。

 

男が下船したときに宇治川の堤防当たりに住んでいた犬が何頭も鳴き出します。

 

犬の鳴き声が賊(ゾクッ)と聞こえたこともあって、船客が50両の大金を盗まれたことに気が付きます。

 

船頭は自分の船で事件が起こったので責任を感じます。

 

自分の名誉のためにも何とかしようと思って機転を利かせ、船の向きを変え下り船から上り船に見せかけて再び乗船してきたその盗賊を取り押さえます。

 

50両を取り返してもらったのでその客は5両の礼金を船頭に渡します。

 

捕まった盗賊は京都のこんにゃく屋の権兵衛という名前だというのです。

 

そしてオチが「権兵衛ごんにゃく船頭が利」となります。

 

関西の「権兵衛ごんにゃくしんどがり」(骨折り損のくたびれ儲け)を地口オチにしたものです。

 

つまりこんにゃく屋の権兵衛は捕まってしまってくたびれもうけで、船頭はお礼に5両もらって利を得たというものです。

 

一方円生の噺では枚方まで行き枚方名物の「くらわんか船」の騒動でのおちです。

 

氏名不詳の江戸の二人が、餅や酒を売りに来た「くらわんか船」の言葉遣いに腹を立てて、「くらわんか船」を追い払ってしまいます。

 

このおかげでうどんを食い損ねた客が堤防まで首を伸ばしてうどんを食いますが、隣にいた船客がその首を見て「ろくろ首だ」と驚きます。

 

ろくろ首の男に「長い間おいしい味が楽しめていいな」と言いますと、「二つ良いことはないがな、
苦い薬を飲んだら苦いのが長いこと続きまんがな。」というオチです。

 

まとめ

古典落語では出てくる噺の中で、歴史や単位や言葉の問題などで分かりにくいことがよくあります。

 

この噺でも本題の部分は、三十石船がもう無いとか船旅が経験できないという問題はあります。

 

しかしマクラの部分での京の名所の紹介や、宇治の紹介も現在同じ場所が残っていることから実際に見に行ってみるのも面白いでしょう。

 

実は三十石船も伏見観光協会が少し小さい十石船の体験ツアーをやっているようですから疑似体験はできるかもしれません。