ベテランの落語家でも話し間違いがあるんですよ。
例えの使い方が間違ってたりするので、以外だなと思うこともあります。
師匠から聞き間違えで一生懸命覚えたのと思うと、なんだか親近感を感じます。
目次
落語の演目「不動坊(ふどうぼう)」での間違い
関西のベテラン落語家の間違いです。
今の芸名に代わってからは聴いていないのでわかりませんが前の芸名の時の話です。
この噺は講釈師である「不動坊火焔」が旅の途中で急死し、困った女房のお滝さんが大家さんに頼み込んで誰かに縁付こうという噺です。
ちなみに、上方落語では長屋のおかみさんの名前はたいていこのお滝さんです。
大家さんは店子で一番まじめな男である利吉にこの話を持ち込みます。
利吉はお滝さんにもともと惚れていたので二つ返事で了解します。
この時の返事のセリフが問題です。
「お滝さんなら、言葉は行き届いているし、腕も立つ」というところです。
「腕も立つ」というのは、技術が優れているという意味もありますが、普通は武芸に優れていることを指します。
腕の立つようなおかみさんは怖いですよね。
米朝の噺の場合は「筆も立つ」で、これはちょっとした手紙も書けるという意味です。
おそらく稽古をつけてもらう時に聞き間違えたのでしょう。
上方落語でもう一つ
噺の方は何の噺かは思い出せませんが、やはり関西のベテラン噺家の間違いです。
わさびの説明で「ああわさびか、すりがねですりおろして」ここは合っています。
問題はその後で、「それを水で溶いて」と説明しているのです。
すりがねなら生わさび、水で溶くなら粉わさびで両方説明するのはやはりおかしいですね。
落語の演目「百川(ももかわ)」での間違い
極めつけは、超大物噺家の間違いです。
江戸落語の名作と言われる「百川」の中の出来事です。
日本橋浮世小路にあった名代の料亭「百川(ももかわ)」で起こったことを落語に仕立て上げた話です。
これは有名な料理屋であった「百川」で実際にあったことを落語に仕立て上げた話です。
少し「百川」という店の説明をすると、明治の初めに姿を消してしまいましたがペリー来航の時に500人前の供応料理を作ったという名店です。
現在のように、工場での大量生産も大型冷蔵庫もない時代に500人分もの料理を用意するのは並大抵のことではありません。
しかも、ただ料理を出すだけではなく幕府からの日本国の威信と面目をかけた料理にしてほしいという指示にも答えたのです。
それほど立派なお店で起こった話です。
前の年に担当したある町内で祭の締めの際に「四神剣」を質に入れ呑み会につかってしまったのです。
次の当番の町内に引き継がなければならないので、その対応策をこの「百川」で相談する話です。
この中に百川の抱え人(奉公人)である田舎から出てきたばかりの百兵衛と、前年当番であった町内に住む魚河岸の若い衆との掛け合いの話です。
ここで四神剣というのは正しくは「四神旗」のことで、江戸の祭りには必ずといってよいほど使われたました。
この四神旗は皇室の元旦朝賀や即位式などで使われたそうです。
おそらく正式な「四神旗」という言葉を使わずに「四神剣」としたのは噺の展開の関係ではないかと推測されます。
魚河岸の若い衆は隣の町内から「四神剣」のことについて何か言ってくるのではないかと思ってました。
百兵衛が田舎ことば丸出しで自分のことを「主人家の抱え人(しじんけのかけーにん)」と言ったのを「四神剣の掛け合い人」と勘違いしたことから始まるドタバタです。
「四神旗」ではわかりにくいので「四神剣」としたのかもしれません。
これは東南西北の神を描いた旗(東は青竜、南は朱雀、西は白虎、北は玄武)で、先端に剣がついているところから四神剣とも呼ばれました。
方角は東西南北ですが、季節を表すときは東南西北の順になります。
春は青春、夏は朱夏、秋は白秋、冬は玄冬と言いますが、よく耳にするのは青春と白秋でしょう。
さて間違いの件です。
ラジオ放送で聞いていましたから、字はわからないので本当に驚きました。
「青竜(せいりゅう)」は「青龍刀」で使われ、「朱雀(すざく)」は「朱雀門」でごぞんじでしょう。
「白虎(びゃっこ)」も会津の「白虎隊」、「玄武」も兵庫県北部の名所の「玄武洞」で知られています。
「東は青竜で青い竜」うんうん「夏は朱夏で赤い雀」赤い雀のイメージは今一つわきませんが、とりあえずうんうんでした。
驚いたのは「秋は白狐で白い狐」で思わずラジオに向かって「それは違うやろう」と叫んでしまいました。
ただこれを聞いたのは超大物が若い時だったので、おそらくはご本人が気が付くか、誰かがそっと教えてあげて修正しているとは思いますが。
このほかに間違いではありませんが、間違いなく大家中の大家である八代目桂文楽が噺の途中で登場人物の名が出てこなくなった一件です。
「申し訳ありません。もう一度勉強しなおしてまいります」というおわびを言った後に高座を降りてしまい、結局以後は高座に上がることはなかったという噺も有名です。
まとめ
純粋に噺の展開を楽しむのが本当の落語の楽しみ方で、揚げ足取りのようなことはすべきでないと言う意見はもっともだと思います。
しかし、白虎の一件のようなとんでもない間違いに遭遇するというのも、少しひねくれているかもしれませんが落語の楽しみ方の一つかもしれません。
