古典落語は、現在とは異なる時代背景や風俗習慣の違いがありますので敬遠されがちです。
もちろん古典落語の中でも京や奈良の出てくる旅の噺などは、今もその場所が残っているところが多くわかりやすい噺です。
また相撲の噺であれば今も大相撲がありますからある程度情景も推定できることが多いので大丈夫です。
やはり難しいと思われる噺は廓噺(くるわばなし)や大名噺ですね。
いまそれに相当するものがないので一般の人には理解しがたい部分があります。
もちろんこの難しそうな噺でも噺家がいろいろ工夫してうまく演じてくれますので、今聞いても十分面白い噺が多いのです。
時代背景などをあらかじめ理解しておいて、もっと廓噺や大名噺を面白く聞いてもらうために、歴史、用語や風俗についての理解を深めてもらいます。
六代目三遊亭圓生が得意とした「盃の殿様」という噺が、廓噺と大名噺をちょうど兼ね備えていますのでこの噺を利用して説明します。
落語を演じる場合は、噺のマクラの部分である程度本題の理解を助けるための言葉などを説明し、次に本題を演じていき、最後に噺のオチを付ける構成ですから、その手法をまねて「予備知識」、「盃の殿様のあらすじ」「まとめ」という構成にしてみました。
目次
廓噺・大名噺のための予備知識
「盃の殿様」で出てくる難しいと思われる言葉や習慣などを説明します。
(1)遊郭(ゆうかく)について
東京の「吉原」や京都の「島原」には観光施設として遊郭の体験ができるところはありますが、江戸時代の遊郭に当たるものは現在ありません。
遊郭と言われるものは幕府が公認した江戸の「吉原」、京の「島原」、大阪の「新町」の三か所だけです。
落語には、東京の「品川」や大阪の「難波新地」などが出てくることがありますし、「宿場女郎」などもありますがこれらは幕府公認の遊郭ではなくいわゆる私娼のいた場所です。
花魁(おいらん)や太夫(たゆう)と呼ばれる女性がいたのはこの公認の遊郭だけです。
しかもこの女性たちは美貌に優れているだけではなく、芸事に通じや教養も豊かな女性です。
太夫になるためには「禿(かむろ)」、「新造(しんぞ)」と経験を積んで上がっていきます。
この女性たちがみんな江戸育ちばかりではないので、遊郭では「廓の共通語」をつくり太夫たちにその言葉で話させます。
遊郭で使う言葉は一名「アリンス言葉」とか「マホウ言葉」とも言いますが、「~でありんす。」や「そうざます。」とか「~まほう。」と使います。
また自分のことは「わちき」と丁寧に聞こえるように言わせていました。
笑点でも林家木久扇がよくこの「わちき」という言葉を使って笑わせようとしていますので気づくかもしれません。
次に遊郭での遊び方です。
「冷やかし」とは花魁を求めるのではなく見物することを言います。
「初回(しょかい)」とは文字通り初めてその店に上がることを言い、「裏(うら)を返す」とは二度目に店に上がることを言います。
三度目以降になって初めて「馴染み(なじみ)」と言われるようになります。
これらの言葉を使って「裏を返さぬは客の恥、馴染みが出来ぬは花魁の恥」と言われています。
「盃の殿様」の噺の中でも、殿様は二度目に行きたいから「わが先祖は戦場で敵に後ろを見せたことがない。今宵も武士の意気地をもって出かける。」と頑張るところがあります。
まだほかにも難しい言葉があるかもしれませんが、とりあえず次に大名の説明をします。
(2)大名や武士のこと
三代将軍徳川家光の時に禄高が1万石以上を大名と言い、10万石以上を大大名と言うようになりました。
1700年代では10万石の大名の場合は大名行列に、騎馬の武士10人、足軽80人、中間(ちゅうげん・にんそくのこと)140~150人が必要とされました。
「盃の殿様」の噺の中でも、吉原に出かける行列を金紋・先箱・槍、鉄砲、薙刀の同勢360何人と表現していますからこの殿様は大大名でした。
先箱とは行列の先頭付近に位置し大名の正服を入れた箱で、金や漆でその大名の家紋を入れたものです。
「竹に雀は仙台さんの御紋」とか薩摩は「丸に十の字の御紋」とかいうのはこのことです。
参勤交代は、大名が1年ごとに江戸と自らの領地である国元を移動するもので、幕府によって義務付けられたものです。
この「盃の殿様」に出てくる大名は江戸よりおよそ300里離れた西国と紹介されていますので、九州の大名ということになります。
一般的には西国の大大名といえば薩摩の島津が思い浮かぶかもしれませんが、1里は約4kmですから換算すると約1200kmとなり距離だけで言えば熊本あたりが領国かと推定されます。
参勤交代の行程は1日に約40kmと言いますから結構な早さです。
また、この噺の中で盃を運んだ足軽は300里の道を10日で務めると紹介されています。
往復600里(約2400km)ですから、1日240kmと寝る時間も考慮すると今の一流マラソン選手よりも速く走ったことになります。
足軽は下級武士で、へいぜいは殿様に直接話の出来ない「お目見え以下」に当たります。
ご意見番は上級武士で、建前としては殿様に意見を言うことのできますが、へいぜいは殿様に煙たがられているとの設定が多いようです。
茶坊主というのは、武士ではないのですが殿様の身の回りの世話をする人です。
「盃の殿様」のあらすじ
先に説明しました知識を活用して本題に当たるあらすじを読んでみてください。。
江戸から約300里の距離にある西国のさる大大名(だいだいみょう)が気鬱症(きうつしょう、今でいうノイローゼ)にかかります。
茶坊主がなぐさみにと持ってきた浮世絵で遊郭(ゆうかく)である「吉原」のことを知り、「病気療養のため吉原に冷やかしに行く。」と言いますがご意見番の重役に止められます。
御典医が愉快なことがあれば気鬱症にも効果があるととりなしたので「吉原に冷やかしに行く」ことになります。
ご意見番がお忍びで行く方がかえって目立つこともあるので、いっそのこと「ご本格」で出かけた方が良いと進言します。
御大身(ごたいしん・大大名のこと)ですから家格に応じて大名行列を仕立てて冷やかしに行くことになりました。
「金紋」、「先箱」、槍、鉄砲、薙刀(なぎなた)を揃え総勢360何人という大人数です。
吉原につきましたが「冷やかし」に行ったのですから、茶屋の2階から花魁道中(おいらんどうちゅう)を見物するだけのはずだったのですが、殿様は「花扇」という花魁のあまりの美しさに魅了されてしまいます。
「花扇を招いて盃の相手をさせたい。」と言いだし、一悶着ありましたが何とか相手をさせることができました。
最後には盃の相手だけのはずが「花扇のところに一泊したい。」とゴネだす始末です。
花扇の魅力にメロメロになってしまいその日は結局のところ一泊してしまいます。
次の日はとりあえず遊郭行は辛抱しますが、翌々日には「ウラを返し」、遂には「なじみ」になり結局参勤交代で国へ帰るまで毎日のように吉原に通ってしまいました。
最後の日は家臣の方も気を使って、いとまごいに「花扇」のところに行くように勧めます。
このときも初回同様に総勢360何人で吉原に出かけます。
ここで殿様は花扇の襠(しかけ・花魁の着る衣装)が欲しいと言って大金を払い、その襠をもらって帰ります。
殿様が「お国入り(国元へ帰ること)」した時に、すぐにその襠(しかけ)を茶坊主に着させ花扇に見立てて、それを肴に殿様は七合入りの大盃で酒を飲みます。
足軽内に「300里の道を10日で務める。」ものがいると聞き、そのものに花扇にその大盃を届けさせて盃の相手をさせたいと言い出します。
足軽は殿様の命を受け早速花扇に盃を届けます。
花扇は感激してその大盃を飲み干し、「このお盃を殿はんに。」と足軽に渡します。
足軽は大急ぎでその盃を持ち帰るべく駆け出しますが、箱根の山中で大名行列の供先(ともさき)を切ってとらえられてしまいます。
その大名が自ら取り調べるとして、その足軽の盃のやりとりの話を聞いて驚き入りまた感激します。
その大名も自分もあやかりたいとその大盃で一気に酒を飲み干します。
箱根山中で手間取ったため国に帰るのが遅くなり、その事情を大名に問われます。
足軽が事情を説明したところ大名は、箱根山中の飲みっぷりの良さに感心しその大名に「今一盞(いまいっさん・もう一杯)」とすすめてこいと命じます。
その足軽は、その大名がどこの誰ともわからないのでいまだに探し回っているというのがオチです。
まとめ
確かに時代背景が異なっていて理解が難しいかもしれませんが、圓生の噺の場合仕草も含めてうまく演じてくれますから十分楽しめます。
今はネット社会ですから例えば「襠(しかけ)」や「一盞(いっさん)」のようなめったにお目にかからない言葉でも検索できます。
古典落語は歴史や風俗に加えて漢字の勉強にもなりますので頑張ってください。